仙台高等裁判所 昭和25年(ネ)32号 判決
被控訴人村農業委員会の前身同村農地委員会が昭和二十二年三月十日に公告した別紙目録記載の土地についての買収計画、同委員会がした右に対する異議を却下する旨の決定、及び被控訴人県農業委員会の前身同県農地委員会が昭和二十二年五月八日した訴願棄却の裁決を取消す。
被控訴人両名との間に生じた訴訟費用は第一、二審共被控訴人両名の負担とする。
二、事 実
控訴人は主文同旨の判決を求め、被控訴人両名(但し機構改革前は爾薩体村農地委員会及び岩手県農地委員会)代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張は、
控訴人において、被控訴人の本案前の抗弁に対し、右土地は登記簿上は控訴人の長男亡長治の所有名義になつているけれども、それは形式だけのことであつて実質上は控訴人の所有である。仮に長治の所有であるとしても、長治は控訴人の同居の親族であつたのであるから自作農創設特別措置法(以下自創法という)の精神からみて控訴人に訴権があると述べ、
本案につき請求原因として、被控訴人村農業委員会の前身同村農地委員会(以下村農委という)は右土地が、昭和二十年十一月二十三日の基準時現在において自創法第三条第一項第一号の不在地主の小作地であつたとしてこれにつき買収計画をたて、昭和二十二年三月十日その公告をした。控訴人はこれに対し村農委に異議を申立てたが却下され、更に被控訴人県農業委員会の前身同県農地委員会(以下県農委という)に訴願したところ、同委員会は同年五月八日訴願棄却の裁決をし、該裁決書は同年八月十日控訴人に送付された。しかし被控訴人両名の右処分には次のような違法がある。
第一、右土地は前叙のように登記簿上は控訴人の長男亡長治の所有名義になつているけれども実質上は控訴人所有である。そして右土地の内第四、第八の二筆は未だ嘗て他に小作させたことなく控訴人の自作地である。即ち控訴人は昭和四年四月郷里に母ハツヱを残して北海道へ出稼に赴いたのであるが、その際控訴人の実姉である訴外中村ナカを郷里に残した母と同居させ右二筆の土地を耕作させて来たのである。
第二、控訴人は右北海道への出稼に際り、右二筆を除く前示土地を、訴外福田惣八郎に対し控訴人が帰郷自作する際は何時でも返還を受ける約旨で賃貸小作させて来たところ、同訴外人より昭和十七年四月十一日附書面を以て控訴人に対し、爾後右小作契約を解約し小作地を返還したい旨の申入れがあつたので、控訴人は直ちに書面を以て承諾の回答をしたから、右小作契約は右により消滅した。仮に右の承諾の事実が認められないとしても、右訴外人の右解約申入れにより民法第六百十七条の規定に基いて一年後である昭和十八年四月十一日限り右小作契約は消滅した。従つて右訴外人が基準時現在において右土地を耕作していたとしても、それは無権原に基くものであり、又右訴外人が右土地の一部を訴外玉川五兵衛に転貸したのは右小作契約が消滅して後のことであり、且つ控訴人の同意なくしてなされたものであるから、同訴外人の耕作も無権原に基くものであるからいずれも小作地というを得ない。
第三、仮りに右解約の事実が認められないとしても、その後右福田惣八郎と右小作契約を適法且つ正当に解約したものである。即ち控訴人は昭和十八年に長男長治を帰郷させ右土地を耕作せしめようとしたところ、同人が応召した為め実行することができなかつたのでそのままになつていたが、終戦になつても長男が復員しないので、控訴人自ら昭和二十一年三月北海道から帰郷し、直ちに右福田惣八郎より前示約旨に基きその同意を得て右土地の返還を受け爾来控訴人が自作して来たものである。そして、控訴人の長男長治は昭和十九年五月二十日南方で戦死し、同人の直系卑属は長女瞭子のみであるが、控訴人が長治の戦死の事実を知つたのは昭和二十二年七月のことである。その上昭和二十年には郷里の住家を類焼により失い、かたがた他に生業のない控訴人は右土地を耕作する以外に収入の途なく、これを買収されるにおいては控訴人の生活の途は杜絶されることになる。他方小作人であつた右福田惣八郎、玉川五兵衛の生活状態は控訴人のそれに較べ数等勝つているのである。以上の次第であるから改正自創法第六条の二第二項の趣旨からしても右土地は基準時現在の状態に基いて買収すべきでない。
第四、右土地の内前示第四、第八の二筆は公簿上も現況も畑であるのに村農委はこれを現況田として買収計画をたてた。
従つて前示買収計画、異議却下の決定及びこれを維持した訴願棄却の裁決はいずれも違法であるから、これが取消を求めると述べ、
被控訴人両名代理人において、本案前の抗弁として、別紙目録記載の土地は亡林長治の所有であつたのを同人の死亡により訴外林瞭子が相続によりその所有権を取得したものであつて、控訴人は所有権者でないから本件に関し訴権がないと述べ、
本案に対する答弁として、控訴人主張事実中、(イ)冒頭の右土地につき、村農委が不在地主の小作地として遡及買収計画をたてたことから訴願棄却の裁決書が控訴人に送達される迄の経過が控訴人主張のとおりであることは認める。(ロ)第一の事実のうち、右土地が控訴人所有のもので同人が従来より自作して来たとの事実は否認する。(ハ)第二の事実のうち、控訴人が北海道へ出稼するに際り右土地(但し別紙目録記載の土地全部)を訴外福田惣八郎に賃貸小作させた事実は認めるが、その他の事実は否認する。(ニ)第三の事実のうち、控訴人が昭和二十一年三月北海道から帰郷したこと、控訴人の長男長治が昭和十九年五月二十日戦死し控訴人が右事実を知つたのは昭和二十二年七月であること、長治の直系卑属は林瞭子のみであること、は認めるが右土地を買収することにより控訴人の生活状態が小作人である訴外福田惣八郎、玉川五兵衛のそれに較べ著しくわるくなるとの点は争う。(ホ)第四の事実は争う。前示第四、第八の二筆の土地は現況田である。仮りに別紙目録記載の土地が控訴人所有のものであるとしても、基準時現在において右土地は訴外福田惣八郎等が賃借権に基いて耕作していた不在地主の小作地であつて、前示買収計画は基準時現在の状態でしたいわゆる遡及買収であるから何等違法はないと述べた。(立証省略)
三、理 由
先づ本案前の抗弁につき判断する。本件土地が登記簿上控訴人の長男亡長治所有名義になつていることは当事者間に争ないところであるが、当審証人田沢文雄の証言により成立を認め得る乙第九号証の一、二、原審(二回)及び当審における控訴人本人訊問の結果を綜合すれば、本件土地は元来控訴人所有のものであるが、控訴人が嘗て鉱山に手を出していたので事業失敗による財産喪失を苦慮した母ハツヱを安心させる為め表面上同人所有名義に登記していたのを、同人の死亡直前になつてから将来の紛糾を慮り控訴人においてその長治所有名義に移したものに過ぎないのであつて、実質上は依然として控訴人所有のものであり、従つて控訴人が終始管理収益してきたことが認められる。されば、控訴人が本件買収計画に関し不服を主張する適格がないとの被控訴人等の主張は採用し得ない。
よつて本案につき審究する。本件土地につき被控訴人村農委が買収計画をたててから被控訴人県農委が訴願棄却の裁決書を控訴人に送付する迄の経過が控訴人主張のとおりであることは当事者間に争がなく、本件買収計画が昭和二十年十一月二十三日現在の事実に基くいわゆる遡及買収計画であることは当審証人坂本善之助、田沢文雄の証言、原審における被控訴人村農業委員会代表者本人坂本善之助訊問の各結果により明らかである。以下本件買収計画につき控訴人主張のような違法があるかどうかを順次判断する。
第一、本件農地が控訴人の所有に属することは前に認定したところであるが、当審証人福田久次郎(一部)田沢文雄の証言、当審における控訴人本人訊問の結果(一部)を綜合すれば、本件土地の内第四、第八の二筆の土地も他の本件土地と共に控訴人が昭和四年四月北海道へ出稼する際訴外福田惣八郎に賃貸小作させたものであつて、ただその内右第八の土地は控訴人が郷里に残した母と同居していた控訴人の実姉中村ナカの希望により戦時中既に福田惣八郎から任意返還し、爾来右控訴人の姉が耕作して来たものであることを認め得る。(右認定に牴触する部分の当審における控訴人本人訊問の結果は採用しない。)従つて該土地は基準時現在においては小作地でなかつたのであるから、被控訴人村農委がたてた前示買収計画並にこれを維持した同委員の前示異議却下の決定及び被控訴人県農業委員会の前示訴願棄却の裁決は該土地に関する部分に限り違法であり、既に此の点において取消しを免れないが、前示第四の土地が従来からの自作地であるとの控訴人の主張は採用できない。
第二、控訴人が北海道へ出稼するに際り本件土地全部を訴外福田惣八郎に賃貸小作させたことは前認定のとおりであり(控訴人が右渡道するに際り本件土地の内第四、第八を除いた爾余の土地を右福田に小作させたことは当事者間に争がない。)、そして当審証人坂本善之助、福田久次郎(一部)玉川五兵衛(一部)の証言、原審における被控訴人村農委代表者本人坂本善之助訊問の結果、右福田証人の証言並びに原審(一回)及び当審における控訴人本人訊問の結果により成立を認め得る甲第四号証、前示乙第九号証の一、二を綜合すると、訴外福田惣八郎から控訴人に対し昭和十七年四月中旬頃書面を以つて、稼働力不足の為め耕作困難につき小作地を返還したい旨申送つたところ、控訴人より引続き耕作方を依頼した為め、右福田が引続き賃借することにし、同年度よりはその一部約半分を訴外玉川五兵衛に転貸し右両人において引続き従来の土地(前示第八の土地を除いた本件土地)を耕作して来たものであることを認めるに十分である。右認定に反する原審(一回)及び当審における控訴人本人訊問の結果は措信できない。尤も玉川五兵衛に対する右転貸は控訴人に無断でなされたものであることは当審における控訴人本人訊問の結果(一部)により明らかであるけれども、控訴人の同意がないことは単に転借人たる玉川五兵衛が転借権を以て控訴人に対抗することができないに止まり、転借土地が自創法上小作地たることには少しも変りがないのである。従つて福田惣八郎の前示解約申入れにより本件小作契約が消滅し、前示土地が基準時現在において小作地でないとの控訴人の主張は凡て採用しない。
第三、控訴人が昭和二十一年三月北海道から帰郷したことは当事者間に争なく、原審証人福田惣八郎、当審証人福田久次郎(一部)玉川五兵衛(一部)、当審証人坂本善之助の証言、原審(一回)及び当審における控訴人本人(各一部)並びに原審における被控訴人村農委代表者本人坂本善之助訊問の各結果を綜合すれば、控訴人は右帰郷後直ちに訴外福田惣八郎に対し前示小作地の返還を求めた結果、同人はこれを容れ、玉川五兵衛と前示転貸借を合意解約した上、前示小作地(前示第八の土地を除いた本件土地全部)を返還したものであることを認めるに十分である。しかして昭和二十二年十二月二十六日公布の法律第三百四十号による改正前の農地調整法第九条第三項に、いわゆる解除解約中には合意解約を含まないと解すべきであるから右小作契約の解約は適法であるといわなければならない。そして、控訴人の長男長治が昭和十九年五月二十日南方で戦死し、同人の直系卑属は長女瞭子のみであり控訴人が長治の戦死を知つたのは昭和二十二年七月のことであることは当事者間に争なく、右事実と成立に争なき甲第六、七号証、乙第四号証、同第八号証、当審証人田沢文雄の証言により成立を認め得る乙第六号証の一、第七号証、第九号証の一、二、当審証人坂本善之助、福田久次郎(一部)玉川五兵衛(一部)田沢文雄の証言、原審(一、二回)及び当審における控訴人本人訊問(各一部)の各結果を綜合すれば、控訴人は福田惣八郎より昭和十七年四月前示のような小作地返還の申出があつてからは長男長治を帰郷させ、右小作地を耕作させようと企図したが同人が昭和十八年に応召した為め実現することができないで終戦になり、長治の生死も不明なので自ら郷里において本件土地により生活しようと考え、前示のように昭和二十一年三月帰郷して訴外福田惣八郎に右の希望を告げたところ同人の快諾を得て前示小作地の返還を受けたので、北海道における農地は解放し又同地におけるその他の財産も全部処分した為め、郷里に存する本件土地と約五十坪の宅地、約一反の草地を有するに過ぎず、且つ当時控訴人の長男長治の生死は不明であつたばかりでなく、その妻は一子瞭子を伴つて生家に寄寓していて控訴人の頼りとならなかつたので、他に適当な生業のない控訴人は本件土地を耕作する以外に生計の途がないこと、これに反し訴外福田惣八郎方(同人はその後死亡し長男久次郎が同家を主宰している。)は家族九人であるが本件土地を除いて(基準時現在において同人が本件土地の内実際耕作していたのは前示第八の土地を除いた爾余の約半分一反四畝余であり、他の約半分は訴外玉川五兵衛が耕作していたものであることは前認定のとおりである。)田約二反五畝を耕作している外長男久次郎外一名が他に奉職して相当の固定給を受け、裕福とはいい得ないまでも通常の生活を営んでいること、訴外玉川五兵衛は家族十人で稼働人員が五、六人であるが本件土地の内前示福田惣八郎より転借した約一反四畝の土地を除外しても尚田約三反、畑約一町五反を耕作し右の内田約七畝歩を除き全部今次の農地改革により解放を受けたものであつて、必ずしも現状での生活が困難であるとは認め得ないこと、訴外福田惣八郎は昭和十七年度以降の右小作地の小作料を著しく滞納していたこと、以上の事実が認められるのでこれ等の事実をかれこれ考え合わせると、本件小作契約の解約は正当なものと謂わざるを得ない。右認定の趣旨に反する当審証人福田久次郎、玉川五兵衛の証言部分は採用しない。尤も成立に争のない甲第五号証、前示乙第四号証、第八号証当審証人坂本善之助、福田久次郎の証言(一部)、当審における控訴人本人訊問(一部)の各結果を綜合すると控訴人は永年北海道で開拓に従事し農地、原野を合して約十五町歩と二、三頭の牛馬を所有し養子を迎えて農耕に従事せしめ、自己は独立して蹄鉄業を営んでいたこと、昭和二十一年三月本件小作契約解約返還を受けたのに、同年度以降一、二年間は右土地の耕作につき主として他の労力に依存していて郷里に落着いていなかつたことを窺い得ないことはないが、しかし、右乙第四号証により窺い得るように、控訴人は右養子との折合がわるく養子とは独立して蹄鉄業を営んでいたのであり、昭和二十一年度以降一、二年間郷里に落着いていなかつたのは北海道の財産を整理するために北海道との間を往復せざるを得ない事情にあつたところからみて、前示事情の存在は本件小作契約の解約を正当とする妨げとならない。
のみならず控訴人は専ら本件農地に依存してその生活を維持しているもので、それが買収されるときは前小作人福田及び玉川の生活状態に比べ著しくわるくなることは、前認定の事情からしてこれを推認するに難くないところであつて、この認定を妨げるに足る証拠はない。
以上説明の次第であるから本件土地を基準時現在の状態に遡及して買収することは自創法の趣旨にもとる違法な措置であるといわねばならない。従つて前証第八の土地を除いた本件土地についても、被控訴人村農委のたてた前示買収計画並びにこれを維持した村農委前示異議申立却下の決定及び被控訴人県農委のした訴願棄却の裁決は共に違法であり取消を免れない。
よつて当裁判所とその所見を異にし控訴人の請求を排斥した原判決は不当で本件控訴は理由があるから、民事訴訟法第三百八十六条第九十六条第八十九条を適用し主文のとおり判決する。
(裁判官 谷本仙一郎 檀崎喜作 小島彌作)
(目録省略)
原審判決の主文および事実
一、主 文
原告の被告国に対する別紙目録記載の土地を買収してはならない旨の訴は之を却下する。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は被告爾薩体村農地委員会が原告所有別紙目録記載の土地に付なした買収計画、その公告並びに原告の申立てた買収異議を否決する決定、及び被告岩手県農地委員会が原告の申立てた訴願を否決せる裁決は何れも之を取消す。被告国は本件土地を買収してはならない、訴訟費用は被告の負担とする判決を求め、請求の原因として別紙目録記載の土地は登記簿上長男亡長治名義になつているけれ共実質上は原告の所有であり、仮に然らずとして長治の所有であるとするも長治は原告の長男で同居の家族であつたから自作農創設特別措置法の精神からみて原告に訴権がある。原告は昭和四年四月北海道に出稼することになり、その際訴外福田惣八郎に対し原告が帰郷自作する際は何時でも返還を受ける特約で小作させてきた処前敍約旨に基き合意解除し小作人より昭和二十一年三月土地の引渡を受け爾来自作している。然るに被告爾薩体村農地委員会は原告を不在地主と認定し本件土地の買収計画を樹てその旨公告したので原告は右計画に対し異議を申立てた処否決され更に被告岩手県農地委員会に訴願し、同様否決されたが右は何れも違法な決定である。即ち自作農創設特別措置法は旧憲法時代に制定されたもので日本国憲法に牴触する条規は無効である。即日本国憲法第二十五条によれば、総て国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有するのに、現在国家は国民の最低生活をも保障せず食糧の遅欠配を来している状況であるから自ら農耕に従事し食糧を自給する以外に方策はない。原告は憲法に保障された最低限度の生活を営む権利を行使せんとするものであり、被告等の処分は原告の右権利行使を不法に侵害するものである。
又憲法第二十二条によれば何人も公共の福祉に反しない限り居住移転及職業選択の自由を有するので、自己所有地につき耕作を営むことは憲法上保証された自由であつて、被告等は原告の右自由権を犯し得ないものである。更に憲法第十三条によれば総て国民は個人として尊重され生命自由及幸福追求に対する国民の権利については公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政上最大の尊重を必要とし、原告が唯一の不動産である本件土地を自作することは原告にとつて生命自由に関する問題であり幸福追求に最も適した方途であり、然も原告の自作は何等公共の福祉に反するものではないのに、最大の尊重をされない違法がある。次に原告家は北海道に出稼し前記の如く訴外福田に本件土地を小作させ、昭和十八年より長男長治を帰郷させ右農地を自作することとし長治も右の通り企図し、その準備中突如大東亜戦争が起り長治は国家の強制令状により召集された為自作農たり得なかつたのであるから、本件農地を自作しなかつたとしても、その原因は全く国家の妨害にある。自己所有の農地に付自作せんとする国民を国家が監禁し乍ら自作し得なかつたからといつて、不在地主として土地を取り上げるのは不当であるから本訴請求に及ぶ旨陳述した。(立証省略)
被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、請求原因に対する答弁として本件土地は林長治の所有で、原告は所有者ではないから原告に本件訴権がない。仮に原告の所有地なりとしても昭和二十年十一月二十三日現在に於ては不在地主の所有する小作地である。尚村農地委員会が原告を不在地主と認定し本件土地につき買収計画を樹てその旨公告し、之れに対し原告が異議申立をし、否決され更に県農地委員会に訴願したが否決されたことは之を認める。その余の原告主張事実は之を争う。而して原告は憲法の条項の一部に立脚して独断的見解に立つて本件行政処分の無効を主張するが、それは何等根拠がないと述べた。(立証省略)